ベラルーシとチェルノブイリ原発事故
- yaho604
- 2015年10月6日
- 読了時間: 3分
今回の企画展のポイントになっているベラルーシとチェルノブイリ原発事故の関連をまとめようと思います!
1986年4月、ベラルーシの南にあるウクライナのチェルノブイリ原発事故が爆発。屋根は吹き飛び火災も発生しました。大量の放射性物質は2000mの高さまで舞い上がり、10日間放出され続けました。このチェルノブイリ原発から噴き出した「死の灰」の量には様々な説がありますが、広島に落とされた原爆の500発分に相当するという専門家もいらっしゃるそうです。
この放射性雲はベラルーシに、その後ポーランド、オーストリア、スイス、イタリア北部、ロシアなどに向かって汚染しました。チェルノブイリ原発事故は北半球のほとんどを放射性物質で汚染したといってもよい地球規模の災害なのです。
ベラルーシでは、この事故で漏出した放射性物質の70%がベラルーシに降り落ち、国土の23%が汚染されました。そしてこの23%にあたるところに人口の約20%が生活していました。13万5千人が強制移住をさせられ、今も20万人が移住しなければならない状況だそうです。
消防士や軍人、専門家など、原発事故処理作業員(リクビタートル)総数は60~80万人ともいわれ、現在ベラルーシには約10万人ほどがいます。30年たった今もなお、彼らだけでなく多くの人が健康被害に苦しんでいます。特に子供たちは放射線、放射性物質からの影響は大人の10倍。多くの子どもたちがいまだに支援を必要としています。
日本でも、「核の平和利用」という名目で原発を建てまくり、核の危険性を知ってなお、お金の為にシラを切ってきたことは常套手段なのだとこの歳になればもう分かってはいるけれど、「日本の原発技術は世界一」と過信をして、事故が起きたら想定外。しっちゃかめっちゃか過ぎると、、、でも誰も責任を取る気なんて最初からなかったんだと、電力会社、官僚、えらい人たちを見て感じてきました。 だからこそ、同じ罪を繰り返してしまった日本人として、チェルノブイリ原発事故で被災した人たちに申し訳ないと私は思うのです。 負の連鎖を見て見ぬふりをして続け、生んでしまったこの悲惨な結果の責任を、未来の子どもたちに丸投げしないために行動し続けていかなければと歴史を振り返るたびに感じます。

三カ国交流ツアーのメンバーとベラルーシの子どもたち
≪参考資料≫
自分と子どもを放射能から守るには ウラジミール・バベンコ 著
出版:世界文化社
新訂 子どもたちのチェルノブイリ
出版:梓書院
FoE Japan チェルノブイリ原発事故の被害影響と対応(概要)
http://www.foejapan.org/energy/evt/150711.html
原発事故と甲状腺がん 菅谷昭 著 出版:幻冬舎ルネッサンス新書
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