愛の画家 シャガール
- yaho604
- 2015年10月5日
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ベラルーシの文化・芸術にも触れる機会を頂き、ミンスクからさらに北東にあるヴィテブスクのシャガール記念館に行きました。 なんと!! ベラルーシは、20世紀を代表する画家 マルク・シャガールの故郷だったのです!
当時ヴィテブスクにはユダヤ人だけが制限されて暮らしている居留地があり、シャガールもまた、その地の伝統的なユダヤ教を信奉する家庭に生まれました。極寒で貧しい暮らしでしたが、シャガールにとってはヴィテブスクは生涯にわたり幼年期の懐かしいイメージであり続け、晩年の作品にまでもその記憶を再現し続けました。
画業の為に19歳で故郷を離れ、23歳にはパリに旅立ちました。この時代のパリは、セザンヌ、モネ、ルノワールといった印象派は人気を博し、ゴーギャンやゴッホの名声も健在、そしてピカソのキュビズムが誕生した、まさに芸術のるつぼ状態でした。そこでシャガールはヴィテブスク出身ということを強く意識し誇りを持って制作に励みます。
シャガール初期の傑作『私と村』 (インターネット検索引用)

その後戦争、そしてナチスの迫害を逃れるためアメリカに亡命しますが、第二次世界大戦後にフランスに戻り大成したことから、シャガールはフランスの画家だとよく言われているのです。(図書館でもフランスに分類されていました)
シャガールは、故郷に関するこんな言葉を残しています。
「私の芸術の根っこを育ててくれた土はヴィテブスクだったが、樹木が水を求めるように、私の芸術にはパリが必要だったのだ。私が故郷を離れる理由はそれ以外になく、私は絵画において、つねに故郷に誠実だったと信じている。」
シャガールは最愛の妻 ベラを一途に愛し、結婚や愛をテーマに描いた作品も数多く、「愛の画家」と呼ばれているそうです。またシャガールは戦争で故郷を焼かれ、亡命をも経験し、戦争への抵抗や平和への願いをテーマにした作品も描いています。 晩年の作品は、創作という行為の本来あるべき形である「生きるよろこび」が、神聖に、ダイナミックに、そして個性的に描かれています。
生きる苦しみを乗り越え、その先に待つ生きるよろこびを愛をもって描き続けたシャガールの姿に、私もたくさん学ばなければならないと感じました。
また私は、シャガールの絵から物語性を感じます。一枚の絵からまるで童話が聞こえてきそうな、柔らかい光に包まれながら、クッキーとお茶でも飲みながら、シャガールが優しく語ってくれるような気持ちにさせてくれる、そんな雰囲気が大好きです。

シャガール記念館の玄関

シャガール記念館の庭にある銅像(※シャガールの作品ではありません。)
ちなみにシャガール記念館に行ったはいいが、シャガールの作品はあまりにも有名になりすぎて、記念館に一つもなく、それどころかベラルーシにすら一つもないという事でした・・・(笑)
バスで何時間もかけて行ったのにーーー!! ちゃんちゃん♪
≪参考資料≫
もっと知りたい シャガール 生涯と作品
出版:東京美術
シャガール 色彩の詩人
ダニエル・マルシェッソー 著
出版:創元社
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